不義理について考えてみました
先日も「あいつは不義理だ」的な行動を取った人が何食わぬ顔で現れていました(^^♪
しかし不義理をしようと思ってしてる人はいるのでしょうか?
「よーし今日も不義理するぞ」なんて朝から気合入れてる人はいないと思う
本人もその時点では最善の決断をしたのだと思います
結果は立場や見る位置によっては不義理だと捉えれても、まったく逆の立場からすれば英断であることもあります
それぞれの立場や状況で解釈は変わります
人は皆、常にその時点での最善や最良な判断をしています

ある人からすれば目標から目を背けてると思われる行為も、違う人からすれば新たな目的が出来て優先順位が変わっただけである場合もあります
ただ判断が経験値や自分に芯を持ってるのか否かで変わることも事実です
最良の判断の質が変わることがあり、この質そのものが人生の質に直結するだと感じています
人生が選択の連続であれば最良の選択を常に出来るような環境と経験が大事です
環境とは誰といるのか、どこにいるのかが大事であり自分は誰と一緒にいてどんな時間を過ごすのかです
故に拓友、友を選んでいこうと思います
